今年に入り、ノーベル経済学賞受賞者もあるポール・クルーグマン教授やジョセフ・スティグリッツ教授が、政府による財政支出の重要性をとりわけ訴え続けているのは、メディアなどでご存じの向きも多いと思います。また、先ごろ東京で開催されたIMF・世銀総会でも、急ぎ過ぎる財政健全化にIMFから軌道修正とも言える警告が発せられたことは、我々の記憶にも新しいところですよね。
クリントン政権後半期の財務長官を務めたローレンス・サマーズ教授が、ロイターにコラムを書いていました。
少し長いのですが、全文引用しておきました。秋の夜長に、よろしければ―
■コラム:IMFは緊縮策の弊害回避を=サマーズ氏
http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPTYE89F03M20121016?sp=true
[全文引用]
[14日 ロイター] 先週東京で開催された国際通貨基金(IMF)・世銀年次総会前に世界経済が苦境にあえいでいたとすれば、現在の世界経済が平穏に推移しているとは考えにくい。
実際、IMF・世銀総会は、多数の当局者が東京を訪問したことで日本に若干の景気刺激効果を与えただけで、それ以外の成果を見いだすことは難しい。
米国は依然として「財政の崖」から(谷底を)覗き込んでおり、欧州は危機を食い止めようともがいているものの成長戦略を構築できずにいる。景気低迷から抜け出せない日本はわずかでも成長できれば満足している状態だ。
一方、BRICS諸国はどの国も満足できる状態にはない。短期的には金融の不均衡が成長を阻害しているほか、長期的には根深い腐敗や人口動態に関する問題が成長見通しに影を落としている。
先進国の大半では、最初は金融だけの問題だったことが深刻な構造問題に発展しつつある。欧米経済が1990年から2007年までの平均的な成長ペースを維持していたとすれば、現在の国内総生産(GDP)は実際を10―15%、2015年までには現実的な予測を15%以上上回る水準に達していたに違いない。
もっとも、2007年には世界のGDPが金融バブルをもたらしたのと同じ要因で嵩上げされていたため、この計算はミスリーディングな面がある。だが、たとえ2007年のGDPが5%程度意図的に押し上げられていたとしても、米国と欧州連合(EU)のGDPは達成できるはずだった水準を依然として1兆ドル程度下回っている。そのことは、平均的な米国の1世帯当たり1万2000ドルの生産が失われたことを意味する
そう考えれば、経済に関する国際的な協調プロセスは失敗だったと言わざるを得ない。そのことは、世界のリーダーが失敗を犯したことを意味し、世界的な経済アーキテクチャーの改革を求める声が高まるだろう。
それはある意味で正しい。世界の大半の国々では、政治的な制約要因が必要な行動を妨げている。なぜなら、どの国でも国内要因よりも世界的に必要なプロセスが重視されることはないためだ。
米国の政治は大統領選や議会選挙を控えて機能不全に陥っている。EUは結論を下せず、米議会が効率的に結論を出す組織のモデルに見えることすらある。ロシアや中国では正当性を欠く権威主義的なリーダーが経済改革を進められずにいる。民主主義を標榜するインドやブラジルでも同じことだ。
政治的な機能不全や国際的な協調プロセスに対する懸念は間違いなく的を射ている。だが、どの国でも政治に期待できる最大のことは、重大な問題に理性的に対応することだ。重大な問題の解決策に関するコンセンサスがなければ、政治に対して持続可能な方法で強力な行動を期待することは難しい。残念ながら、特に先進国における現在の経済的困難に対処する上では、それがまさしく当てはまる。
短期的には成長の促進や雇用拡大を重視し、長期的には債務を抑制する必要があることについては誰でも見解が一致しているが、その方法をめぐっては各国内、および国ごとのどちらの面でも、見解に大きな隔たりがある。
「オーソドックスな見解」は、公的および民間セクターによる過度の借り入れが現在の問題を招いたと考え、長期的に債務の増大を抑制する必要性を強調する一方、緊縮的な財政政策や金融政策を重視し、成長を刺激するため需要喚起を目指す短期的な措置よりも長期的な構造改革が必要だと指摘している。
それに対し、「需要サポート見解」は、債務の増大を抑制し、インフレ率の上昇を食い止める必要性を認識しながらも、景気を押し上げ、所得拡大、雇用創出、金融セクターの強化という好循環を生み出すため、短期的に需要を拡大する措置が必要だと強調している。
過去2―3年、経済に関する世界の議論は、この2つの見解の間で揺れ動いてきた。2009年春や現在のように成長に対する不安がとりわけ強い時期には、すべてではないにしても、国際通貨基金(IMF)をはじめとする金融・財政当局は需要を喚起する政策を重視する傾向が高まる。しかし、成長を取り巻く霧が晴れ始めれば、早々に「オーソドックスな見解」が盛り返し、緊縮財政策や長期的な金融の健全性に関心がシフトしてきた。
こうした動きは、どちらの「見解」に与したとしても危険なサイクルとなる。医師は患者に抗生物質を投与する際、症状が改善しても抗生物質の服用を途中でやめないよう注意を促す。途中で服用をやめれば、症状が再発するリスクがあるばかりか、抗生物質が効かなくなる恐れがあるためだ。
経済政策にしても同じことだ。需要促進を重視している私のような人々は、景気拡大策が講じられる期間が短すぎれば成長を軌道に乗せることができないばかりか、政策の有効性が損なわれ、政策に対する信頼感も低下すると懸念している。
東京で開かれたIMF・世銀会合がただちに効果を発揮することはないだろう。だが、需要を持続させ、緊縮策がもたらす弊害を避ける必要があるとの認識をIMFが示したことは、中期的に非常に重要な意味を持つ可能性がある。もちろん、次に経済が不安定化した時までIMFがそうした認識を持ち続けた場合ではあるが。
(ローレンス・H・サマーズ氏はハーバード大学教授。元米財務長官)
[引用終り]
家計や企業は、おカネが底をついたら破綻するしかありません。誰にとっても、絶対に嫌なことですよね。
しかしながら、国家にとっては、おカネというものは刷るだけで出来てしまうものなのです。さらに言えば、中央銀行の準備預金のデジタル数値を増やすだけで済んでしまうものなのですよね。
ただし、これは共通通貨を導入している国々には、それが出来ないということが、ユーロ通貨圏の大問題としてある訳なのですが・・。
国民経済の目的は、政府債務をゼロにすることなどでは決してありません。国民が、豊かに暮らせることです。
少なくとも、国民経済に必要な政策が政府債務の健全化目標などに縛られているということはあってはならないでしょう。世界で唯一デフレに陥っている日本では、その間に徐々に失われてゆく生産資源(設備・技術とその継承)といったものは、ひとたび失なわれたならば、その回復に非常に長い歳月を必要とします。一方で国家にとっては、おカネはすぐに作れるというわけです。経済は、断じておカネの問題ではありません。
観念的な議論が繰り返され続ける政府債務の限界などと言うものは、、おそらくその時々の経済環境によって全く異なってくるものだと思われます。
現在、世界経済が直面しているのは果たしてこれまで70〜80年の間に繰り返されてきた景気循環による景気沈滞なのでしょうか。おそらく、まったく違うのものでしょう。
1920年代末の世界大恐慌と日本バブルの研究家としても知られるバーナンキ現FRB議長は、リーマン・ショック以降これまでに、マネタリーベースをそれまでの4倍以上にまで拡大させています。・・このことによって、訳知り顔な学者などが盛んに主張するハイパー・インフレでも発生しているのですか?そのような資金需要が現在のどこにあるのですか?10年物米国債の利回りでもわずか1.7%台、CPIはせいぜい2%ぐらいでしょう―という話なのです。
現在の日本においても、実体経済に対する見識が乏しく、デフレ脱却に何の役にも立たない政治家や御用学者、そして軽率極まるメデイア媒体が、目下の日本における深刻な問題なのですね。
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クリントン政権後半期の財務長官を務めたローレンス・サマーズ教授が、ロイターにコラムを書いていました。
少し長いのですが、全文引用しておきました。秋の夜長に、よろしければ―
■コラム:IMFは緊縮策の弊害回避を=サマーズ氏
http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPTYE89F03M20121016?sp=true
[全文引用]
[14日 ロイター] 先週東京で開催された国際通貨基金(IMF)・世銀年次総会前に世界経済が苦境にあえいでいたとすれば、現在の世界経済が平穏に推移しているとは考えにくい。
実際、IMF・世銀総会は、多数の当局者が東京を訪問したことで日本に若干の景気刺激効果を与えただけで、それ以外の成果を見いだすことは難しい。
米国は依然として「財政の崖」から(谷底を)覗き込んでおり、欧州は危機を食い止めようともがいているものの成長戦略を構築できずにいる。景気低迷から抜け出せない日本はわずかでも成長できれば満足している状態だ。
一方、BRICS諸国はどの国も満足できる状態にはない。短期的には金融の不均衡が成長を阻害しているほか、長期的には根深い腐敗や人口動態に関する問題が成長見通しに影を落としている。
先進国の大半では、最初は金融だけの問題だったことが深刻な構造問題に発展しつつある。欧米経済が1990年から2007年までの平均的な成長ペースを維持していたとすれば、現在の国内総生産(GDP)は実際を10―15%、2015年までには現実的な予測を15%以上上回る水準に達していたに違いない。
もっとも、2007年には世界のGDPが金融バブルをもたらしたのと同じ要因で嵩上げされていたため、この計算はミスリーディングな面がある。だが、たとえ2007年のGDPが5%程度意図的に押し上げられていたとしても、米国と欧州連合(EU)のGDPは達成できるはずだった水準を依然として1兆ドル程度下回っている。そのことは、平均的な米国の1世帯当たり1万2000ドルの生産が失われたことを意味する
そう考えれば、経済に関する国際的な協調プロセスは失敗だったと言わざるを得ない。そのことは、世界のリーダーが失敗を犯したことを意味し、世界的な経済アーキテクチャーの改革を求める声が高まるだろう。
それはある意味で正しい。世界の大半の国々では、政治的な制約要因が必要な行動を妨げている。なぜなら、どの国でも国内要因よりも世界的に必要なプロセスが重視されることはないためだ。
米国の政治は大統領選や議会選挙を控えて機能不全に陥っている。EUは結論を下せず、米議会が効率的に結論を出す組織のモデルに見えることすらある。ロシアや中国では正当性を欠く権威主義的なリーダーが経済改革を進められずにいる。民主主義を標榜するインドやブラジルでも同じことだ。
政治的な機能不全や国際的な協調プロセスに対する懸念は間違いなく的を射ている。だが、どの国でも政治に期待できる最大のことは、重大な問題に理性的に対応することだ。重大な問題の解決策に関するコンセンサスがなければ、政治に対して持続可能な方法で強力な行動を期待することは難しい。残念ながら、特に先進国における現在の経済的困難に対処する上では、それがまさしく当てはまる。
短期的には成長の促進や雇用拡大を重視し、長期的には債務を抑制する必要があることについては誰でも見解が一致しているが、その方法をめぐっては各国内、および国ごとのどちらの面でも、見解に大きな隔たりがある。
「オーソドックスな見解」は、公的および民間セクターによる過度の借り入れが現在の問題を招いたと考え、長期的に債務の増大を抑制する必要性を強調する一方、緊縮的な財政政策や金融政策を重視し、成長を刺激するため需要喚起を目指す短期的な措置よりも長期的な構造改革が必要だと指摘している。
それに対し、「需要サポート見解」は、債務の増大を抑制し、インフレ率の上昇を食い止める必要性を認識しながらも、景気を押し上げ、所得拡大、雇用創出、金融セクターの強化という好循環を生み出すため、短期的に需要を拡大する措置が必要だと強調している。
過去2―3年、経済に関する世界の議論は、この2つの見解の間で揺れ動いてきた。2009年春や現在のように成長に対する不安がとりわけ強い時期には、すべてではないにしても、国際通貨基金(IMF)をはじめとする金融・財政当局は需要を喚起する政策を重視する傾向が高まる。しかし、成長を取り巻く霧が晴れ始めれば、早々に「オーソドックスな見解」が盛り返し、緊縮財政策や長期的な金融の健全性に関心がシフトしてきた。
こうした動きは、どちらの「見解」に与したとしても危険なサイクルとなる。医師は患者に抗生物質を投与する際、症状が改善しても抗生物質の服用を途中でやめないよう注意を促す。途中で服用をやめれば、症状が再発するリスクがあるばかりか、抗生物質が効かなくなる恐れがあるためだ。
経済政策にしても同じことだ。需要促進を重視している私のような人々は、景気拡大策が講じられる期間が短すぎれば成長を軌道に乗せることができないばかりか、政策の有効性が損なわれ、政策に対する信頼感も低下すると懸念している。
東京で開かれたIMF・世銀会合がただちに効果を発揮することはないだろう。だが、需要を持続させ、緊縮策がもたらす弊害を避ける必要があるとの認識をIMFが示したことは、中期的に非常に重要な意味を持つ可能性がある。もちろん、次に経済が不安定化した時までIMFがそうした認識を持ち続けた場合ではあるが。
(ローレンス・H・サマーズ氏はハーバード大学教授。元米財務長官)
[引用終り]
家計や企業は、おカネが底をついたら破綻するしかありません。誰にとっても、絶対に嫌なことですよね。
しかしながら、国家にとっては、おカネというものは刷るだけで出来てしまうものなのです。さらに言えば、中央銀行の準備預金のデジタル数値を増やすだけで済んでしまうものなのですよね。
ただし、これは共通通貨を導入している国々には、それが出来ないということが、ユーロ通貨圏の大問題としてある訳なのですが・・。
国民経済の目的は、政府債務をゼロにすることなどでは決してありません。国民が、豊かに暮らせることです。
少なくとも、国民経済に必要な政策が政府債務の健全化目標などに縛られているということはあってはならないでしょう。世界で唯一デフレに陥っている日本では、その間に徐々に失われてゆく生産資源(設備・技術とその継承)といったものは、ひとたび失なわれたならば、その回復に非常に長い歳月を必要とします。一方で国家にとっては、おカネはすぐに作れるというわけです。経済は、断じておカネの問題ではありません。
観念的な議論が繰り返され続ける政府債務の限界などと言うものは、、おそらくその時々の経済環境によって全く異なってくるものだと思われます。
現在、世界経済が直面しているのは果たしてこれまで70〜80年の間に繰り返されてきた景気循環による景気沈滞なのでしょうか。おそらく、まったく違うのものでしょう。
1920年代末の世界大恐慌と日本バブルの研究家としても知られるバーナンキ現FRB議長は、リーマン・ショック以降これまでに、マネタリーベースをそれまでの4倍以上にまで拡大させています。・・このことによって、訳知り顔な学者などが盛んに主張するハイパー・インフレでも発生しているのですか?そのような資金需要が現在のどこにあるのですか?10年物米国債の利回りでもわずか1.7%台、CPIはせいぜい2%ぐらいでしょう―という話なのです。
現在の日本においても、実体経済に対する見識が乏しく、デフレ脱却に何の役にも立たない政治家や御用学者、そして軽率極まるメデイア媒体が、目下の日本における深刻な問題なのですね。
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